昨今、SNSやテレビ番組上で過熱する「親ガチャ」論争。
大学生の息子の問題提起に、夫婦で真剣に答えてみました。
さまざまな「親ガチャ」発言の中、優生思想のような極論に一石を投じます。
「親ガチャ」問題を超える=親や自分を許し、結婚し子供を持つ喜びやその意味を伝えています。
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「親ガチャ」は優生思想なの?親ガチャが優生思想ぽいと思う訳
親ガチャということですが、私は親ガチャの話を聞いて、メンタリスト DAIGO さんの優生思想っていう話を想い起しました。ほとんど直感的に親ガチャ=優生思想ってなっちゃったんですが、それってちょっと説明しないと話わかんないと思います。
優生思想になんで繋がるのか。
親によっていろんな違いがあるので、特に一番豊かさとか貧しさという点では、医者の子は医者になるみたいなのがあり、ある意味学歴とも直結しているところがあります。
どの親に生まれても一緒ではないということは間違いないことです。
ただそれは差別ではなく、区別なんです。
だからあの親に生まれたからああいう感じなのか、この親に生まれたからこういう感じなのかっていうのはありますよ。
私たちも会員さんのお話を聞いている中で、すごく違いを感じます。その違いを理解するのは大事なことですよね。
問題はそこで差別の話をしてしまうことです。
私が昔聞いた話でちょっとゾッとしたのは、その頃はまだ今みたいに気を使わない時代だったからだと思いますけど、「身障者なんてわざわざ渋谷の街を歩くなよ」って言ってる人がいたんです。
凄いですよね、身障者だったら遊びに来ちゃいけない?っていう風に思ったし、それと、ある意味もっとひどいのは、今の話ですけど、どこかのサイトにあったっていう「虐待を受けて育った子供はどうせ虐待する側になるんだから子供は作るなよ」って。
親ガチャがあると思っている人、というかむしろ「親に対して否定的な感情を持っている人」は、そもそも子どもを生んだり、家庭を作ることに強い嫌悪感があります。
私たちの仕事は結婚相談所をやっていますが、私自身も結婚って難しいと思った体験を基にこの結婚相談所作ったので。
つまりそういう考えこそ「優生思想」ではないかと思うんです。
例えば虐待を受けた子が子どもを作ってはいけないという考えだったら…
自分たちの子孫を残したいというのは、人間としての、生き物としての大事な欲求ですよね。それを我慢しなきゃいけないとなったら優生思想になってしまうわけです。
そのことの権利を奪おうとするギスギスしたモノの見方は、自分自身の抱えている不満をその人達に対してぶつけてしまっているように見えます。
例えば、パラリンピックの人たちは、生まれつきそういった形やどこかで事故に遭ったり、病気でそうなったりといういきさつがあってハンディを持っています。このハンディを受け入れて、そこからさらに技能を伸ばしていっているわけじゃないですか。
どうやって足で物をつかんだり、ご飯を食べたりできるのか、ある意味本気な人生を生きているわけです。そういう風にして本気で人生を生きている部分があるから、その輝きはすごいじゃないですか。
乙武さんが親ガチャ論争にコメント入れていましたよね?「自分は身体ガチャ」だと。そういう風に生まれてきたと。
さて、「親ガチャに失敗した」と嘆いている人たちにどう声をかけて励ますか?です。
まずは、「失敗は過去の物ですよね」と。大人になってからも自分は親の影響をこれからも受け続けると思っているとしたら「人生全て親のせい」と言い続けて生きるんですか?と。
これは一般論でいうと簡単なように見えますけど案外その人にとっては大変なことで。
「幼少期の頃にお母さんががみがみ言うから、うまくいくはずのこともうまくいかなかったんだ!」っていう恨み。「あの時のお母さんのせいで、俺は今でもいろんなことができないんだ」と、親ガチャはそういうことを恨みに思い続けていることじゃないですか。
かくいう私も38歳のころに「お母さんのせいで」って親に言ったら、「お前はもう40歳になるっていうのにまだ親を恨んでいるのかい?」と言われてやっとはっとしたんです。
だからそういう親ガチャみたいなことに、親のせいだと言いながら生きているともったいない人生になってしまいます。
親ガチャが心のブレーキに!
大人になれば大っぴらに親のせいにはだれもがしたくないと思うんです。そしてほとんどの大人が「自分の人生は自分自身が切り開こう」と思うわけですが、実際は、「今も親の影響下に縛られている…」と改めて体験する人は案外います。
例えば、「どうしても褒められないと気が済まない」などのパターン。
「褒められていない」と幼いころからずっと感じているためか、ついつい褒められるために無理して働き過ぎてしまう人っていっぱいいますよね?
そういう人は、20代・30代過ぎてもずっとそのパターンを自覚なしに生きていることが多いです。そして30代・40代になって初めて、これは「親ガチャだったんだ!」と気づきます。
大事なことは、課題を超えて行けということです。
親ガチャを超えて
例えば「虐待にあった人は、親になったら虐待をするであろう」というのが、いわゆるパターン。
よくある話ですけど、私どもに入会して来る人でも「自分はああいう親に育って自分もそういうことをしそうだから子どもを生みたくない」といいます。
ただね、言ってみるとそういういきさつで「子どもを生みたくない」っていうことは、自分の親を許していないことと同義語ですよね。それは親も許していないし、自分も許していないんです。自分を許すことによって、初めて虐待の連鎖のパターンから自由になれるんです。
痛みの心理パターンから自由になる
先日朝ドラで「痛みがある人って強いよね」って言ってました。
「痛みがあるから人生の方向性が決まって来る」。これ分かりますか?トラウマがあると、痛いので、何とかしようとしていろいろと癒しの道を探るわけです。結果、目の前にある癒しの道に貢献したらいいんだと、はっきりしてきます。特に何もないと、これに興味があるとか、あれもこれもやりたいなあって選択肢が多すぎてしまいます。
だから痛みっていうのは、痛みを癒すことで輝くんですよね。
痛みからくる輝きがその人の魅力や才能になっていくですよ。痛みを抱えている人が恥ずかしい訳じゃないですよ。
差別じゃなくて、区別なんだと言うことです。
その格差をどう受け入れるかどうかで、結果は違ってきます。何もかも平等でみんな同じだったら楽しくもない気がしませんか?
本日のまとめ
親ガチャはあります。
みんなそれぞれ違うんです。その違いをもとに喜んだり、悲しんだりするのはそれぞれ自由です。
ただこっちは不幸だろみたいなことばかりこだわっていると、せっかくの人生がつまらないものになってしまいます。
さて、「リアルラブ」では30分3,300円(税込)のカウンセリング体験をおこなっています。
あなたの持つお悩みを明確にして、自己理解を深めていきましょう。
どんなことでもお気軽に話してみてくださいね。
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